寝るを貪る

瀬戸内に面した鄙びた港町がある。頬にあたる潮風が心地よく、白いタイルで出来た小さな灯台と夕暮れの思い出がいくつも残っている。枯れた風情や無造作な町の営み、海に浮かぶ釣り船と島々をぼんやりと眺める平穏な時間。そんな港町に身を置くと、普段の用事に追われて縮こまっている感覚が、解きほぐされていくように感じる。おおらかさのようなものに、いつも憧れを持っているが、それは作為の果てに見出せるものではないのであろうとこの風景を前にいつも思う。

ある日、用事を終えて部屋で休んでいたら、通る潮風と窓から入る日向の心地よさから、ついつい畳の上で眠ってしまった。友人に布団作りを家業としている職人がいるが、彼の仕立てた白い座布団をみながら、布団を持って来れば良かったと後悔した。綿の中に身体が沈んでいく感覚や厚みと硬さも程良い彼の布団は、質実な仕事と抜群の安心感で他に比べようがない。陽の光をふんだんに浴びた布団と窓から抜ける潮風、縁側に入る日向の匂い、下から聴こえる小さなピアノの音の中で眠るのは、贅沢な時間だったであろう。

私は、一年の四分の一は寝ている。しかし曖昧な記憶と目覚めてからの用事に追われ、寝ていた時間は跡形もなくなってしまう。食べることや器、家具や洋服には気を配れても寝ることへの意識が薄い。もちろん、寝具やそれにまつわる品への敬意はあるが、寝ている時間について考えたことは少ない。

安らかな眠りは、私たちの生活に欠かすことのできないものである。睡眠の科学や寝具は進化してきたが、その時間を作る自分はどうであっただろうか。港町での昼寝は、静けさとの向き合い方のヒントとして記憶に留めている。

一年に一日ぐらいは、寝ることに向き合った旅の時間もいいだろう。寝るを貪る。そんな時間の差し出し方について考えてみても良いのではないか、と私は思う。日に無いと表し、鄙びたと書く文字がある。寂れた田舎を表す言葉であるが、その奥にある静かな時間は、今の自分には欠かせない視点である。

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糸とパジャマ